2020年11月02日
井川に暮らす私たちが「大井川の水を守る」で、考えること
リニア中央新幹線建設工事中止を求める動きが出ています。
大井川の水を守るにはどうしたらいいか。
それぞれの立場で、できることがあります。
また、それぞれの立場で、できることは限られます。
井川に暮らす私たちは、大井川の水を利用する最上流部の住民として、やっぱり水の大切さは日頃から身近に感じています。
私の仕事も水に限らずですが、南アルプスの麓地域のことに関わっていますので、今回の様々な動きは関心を持っています。
井川で暮らしていると、すでに工事が始まっている(もちろん、JRが勝手に進めているという意味ではありません)実感があります。ニュースでも取り上げられている工事現場に近い林道復旧工事には、毎日多くの方が作業に携わっています。それは、朝5時台のランニングの最中に通過する工事関係車両の多さを見れば一目瞭然です。
夜も8時過ぎに井川地区を通過して岐路につくようです。
みなさん、それぞれの立場で仕事をしています。
その中で、私ができる「大井川の水を守る」思いは、中下流域の皆さんと同じであるとともに、上流域から中下流域へ水を送ることの責任をどう果たしていくかということにも及びます。
日常の仕事の上で「南アルプスの自然環境を守る=都市部の空気や水を守る」ということは、いまの仕事に就いた四半世紀前から一貫して思ってきたことです。
だから、と言ってはおかしいかもしれませんが、JR東海がリニア中央新幹線を推進しつつも、「地域の自然環境を守る」、あるいは「大井川の水を守る」という言葉は重く受け止めています。同じ、南アルプス、同じ、井川で仕事をさせてもらっている身として、そうするものと信じています。信じないとやってらんない!というのが正確かもしれませんが。
信頼関係がなくして、同じ土俵で仕事はできません。
報道を見てしか判断できませんが、いまはまだ信頼関係がすべて整ったとは言えないでしょう。信頼関係が構築されていないところを、特に報道しているわけですから、報道する側も今後信頼関係が構築されていく様も伝えていく責任があると思います。
これはね、オンラインじゃできないんですよ。信頼関係がオンラインで構築できるほどの社会環境にはなっていないんじゃないかと。その昔、営業の仕事をしていた時のことを思い出しますね。
断られても足繁く通う。
そういう泥臭さ、いま必要なんじゃないかと。
大井川の水を守るにはどうしたらいいか。
それぞれの立場で、できることがあります。
また、それぞれの立場で、できることは限られます。
井川に暮らす私たちは、大井川の水を利用する最上流部の住民として、やっぱり水の大切さは日頃から身近に感じています。
私の仕事も水に限らずですが、南アルプスの麓地域のことに関わっていますので、今回の様々な動きは関心を持っています。
井川で暮らしていると、すでに工事が始まっている(もちろん、JRが勝手に進めているという意味ではありません)実感があります。ニュースでも取り上げられている工事現場に近い林道復旧工事には、毎日多くの方が作業に携わっています。それは、朝5時台のランニングの最中に通過する工事関係車両の多さを見れば一目瞭然です。
夜も8時過ぎに井川地区を通過して岐路につくようです。
みなさん、それぞれの立場で仕事をしています。
その中で、私ができる「大井川の水を守る」思いは、中下流域の皆さんと同じであるとともに、上流域から中下流域へ水を送ることの責任をどう果たしていくかということにも及びます。
日常の仕事の上で「南アルプスの自然環境を守る=都市部の空気や水を守る」ということは、いまの仕事に就いた四半世紀前から一貫して思ってきたことです。
だから、と言ってはおかしいかもしれませんが、JR東海がリニア中央新幹線を推進しつつも、「地域の自然環境を守る」、あるいは「大井川の水を守る」という言葉は重く受け止めています。同じ、南アルプス、同じ、井川で仕事をさせてもらっている身として、そうするものと信じています。信じないとやってらんない!というのが正確かもしれませんが。
信頼関係がなくして、同じ土俵で仕事はできません。
報道を見てしか判断できませんが、いまはまだ信頼関係がすべて整ったとは言えないでしょう。信頼関係が構築されていないところを、特に報道しているわけですから、報道する側も今後信頼関係が構築されていく様も伝えていく責任があると思います。
これはね、オンラインじゃできないんですよ。信頼関係がオンラインで構築できるほどの社会環境にはなっていないんじゃないかと。その昔、営業の仕事をしていた時のことを思い出しますね。
断られても足繁く通う。
そういう泥臭さ、いま必要なんじゃないかと。